けっぴさんのとこ、唯一無二の素材について*303。補足じゃないんだけど。
「同じような環境で育ったのなら、同じような経験をしているので、同じような結果を生みだすのもまた当然である。」の後に、例として、Ircでの出来事が書いてあるけど、実は、この同じような環境って言うのは、別に幼なじみだとか、同じ学校行ってたとか、そういうのじゃないんですよ。彼と出会ったのは、もうずいぶん前のことだけど、特に長い間一緒にいたって言うのはないと思うんですよ*304。最近もあんまりあってないんで、特にその時同じような発想をする一般的な要素はなかったんです。なので、あの時、全く同じ反応をしたのにすごく驚きました。
ところが、それだけじゃなくて、これには個人的な後日談があるんです。少なくともこの時は特に何も考えずに、どこかからか引用してきたとかじゃなくて、松城の思うままに発言してるんだけど、なんか以前に聞いたような妙な感覚があって、気になって、思い出そうとしてたら、ちょっと思い出したことがあったんです。で、資料をひっかき回してみたら出てきたのが、佐藤竜雄監督が「機動戦艦ナデシコ劇場版」のインタビュー*305で発言している内容だったんです。
このインタビューのなかで、インタビュアーが、アカツキ・ナガレの背中に「受」という文字が入っていた事について、どうしてなのか監督に聞く部分があるんです。
そこで監督は「(アカツキは)ひねくれているから、心がない。心がないから『受』なんです」と答えているんです。
さらにこれに対して、インタビュアーが「『受』というと、最近だと違った意味もありますよね。案外、アキトの背中に『攻』ってかいてあったりして」と、発言してる部分があるんですよ。
重ねて言いますけど、松城は以前にこの文章を読んでいる事は間違えなくて、読んでいたからこそ、後でなんとなく思い出せたんだけど、少なくとも発言した瞬間にはここから引用している気は全然なくて、それこそ、オリジナルの発言(のつもり)だったんです。
だから、この例は、全く同一でなくても、似たような環境を経験してきたが為に、全く同時に同じ発想をしたという例だけでなく、過去の経験を無意識に再構築して発言している例でもあったわけです。
実際のところ、このインタビューを、けっぴさんも読んでいたかどうかは知りませんけど、もし読んでいたとしたら、AとBは同一の過去のCを無意識に引用して発言していた事になりますし、読んでいなかったとしたら、AはBともCとも無関係に同じ結論に達したということになるでしょう。
なんか、この辺のオリジナル至上主義って、特許問題とかと同じような気がします。もし、AとBが本当に無関係に同じ結論に達したのだとしたら、Aはオリジナル(= 唯一)なのではなくて、普遍なのかもしれません。
再掲:劇場版LD付属冊子