魔法少女 まどか☆マギカ 最終考察 その6

これ以降ネタバレ

鹿目まどかについて。
魔法少女界でもっとも変身が遅かった主人公。
もっとも主人公らしくないとか、あまりの善意の噛み合わなさに夜、枕を涙でぬらした人も多かろうと思います。

なんと言っても、この作品は、みんなの気持ちが少しずつすれ違い、善意が裏目に出て、それが修復不可能になった、もうだめだ、と思ったそのときに、女神が降臨するというカタルシスがすごいのですよ、ほんと。
昨今の作品だったら、ほむらが時間を巻き戻すのをあきらめたところで終わるもんね、きっと。

まどかは、大人からみてすごいいい子で、でも自分はもっといい子にならなくちゃと思っていて、っていう、普通の子なんですよ。
そして、魔法少女にあこがれていて、そのあこがれの魔法少女が目の前に現れて、自分も魔法少女になれると言われて……
いったんは決心するし、誰もがここで魔法少女なるんだろうな、って思うわけですよ。
そして、目の前で先輩が戦死。

普通の作劇だったら(特に魔法少女は女児玩具売らないといけないから)、先輩の戦死→悲しみの中、その理念を次いで魔法少女を継ぐ、ってなりますよ。

でも、彼女は逃げるのね。そこがすごく感情として生に近いというか。
その後もふらふら迷走しているように思えるけど、一点だけぶれていない点があって、それは
「友達を救いたい」ってこと。
まどかはとにかくそのためにはどうしたらいいのか、そのことを考え、試行錯誤を続ける。
あたかも時間をさかのぼり続けるほむらのように。

ほむらがため込んだ因果律により、強大な魔力を生み出す素質を持ったが故に、キュゥべえもあそこまで種明かしをしたのだけど、それが故に、彼女には「すべての魔法少女=仲間」という意識が生まれ、彼女なりに仲間を全員救うにはどうしたらいいか、単にほむらを救うだけではなく、すべてのの魔法少女を救うためにはどうしたらいいか、それを考えた結果が

私、
すべての魔女を生まれる前に消し去りたい
すべての宇宙、過去と未来のすべての魔女を
この手で

神様でも何でもいい
今日まで魔女と戦ってきたみんなを
希望を信じた魔法少女を
私は泣かせたくない
最後まで笑顔でいて欲しい
それをじゃまするルールなんて壊してみせる
変えてみせる
これが私の祈り、私の願い

さあ、かなえてよ! インキュベーター!

という彼女の台詞に凝縮されていると思う。

実は、キュゥべえと契約しそうになって、ほむらが彼を穴だらけにした時、彼女はまだ「キュゥべえ」と呼んでいた(と思う)。過去の歴史を見せられたときですら「あなたたち」止まりで、作劇上初めてまどかが「インキュベーター」と呼ぶ瞬間がここである。

台詞の揺るぎなさ、最後の契約を迫るときの感情。そしてそれよりも彼女らしいのは、これらの台詞を言う前に、一回深呼吸をしている事。すべてが、普通の子らしくていとおしいのと思えるのだ。
ちなみに、最後の契約を迫るときの感情のすごみは多分演出指導があったとはいえ、悠木碧の演技力を否が応でも感じた。凡庸の演出だったらあそこは叫んでいただろうけど、完全に「脅している」。っていうかまだ(かろうじて)10代か……すごい人もいたもんだ。

そもそも、並の脚本家だったら「みんな魔法少女になる前に戻して、インキュベーターさんはお帰りください」でしょ?
たとえ人類が洞穴生活に戻っても? 「魔法少女であることを誇りに思って生きてきた子達の気持ちを無視」しても?
なにより、「これまで自分を陰ひなたに支えてくれた、暁美ほむらの好意を無駄」にしても?

魔法少女を確実に不幸に導く仕掛けは消滅した。一人の魔法少女の力によって。
魔法少女が幸せになれるのか否かは、(すべての宇宙、過去と未来に)残された魔法少女に託される。

大丈夫、彼女たちはやってくれると思う。
たとえ、夢破れたとしても、優しく迎えてくれる「友達」が彼女たちにはいるのだから。

Don't forget.
Always, somewhere,
someone is fighting for you.
As long as you remember har,
you are not alone.

最後の余談。
第三周回で、最後にほむらを回復させるグリーフシード、さやかのグリーフシードではないか説があるけど、多分そうなんじゃないかと私も思う。
だとするとすごい切ないよね。親友の形見を大事に持っていて、それをそのまま抱いて置くこともできたんだけど、ほむらに未来を託すのを選んだんだもんね。そして、それがさらに自体を悪化させているというやるせなさ……。

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