劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を見てきたので、ネタバレ有りの感想等々を。

ここからネタバレ有り。

ここをごらんになっている方は既に映画を見た方です。異論は認めません。ネタバレしてもいいから先に情報を得たい人には全く向けて書きません。苦情は/dev/nullまで。

まず思ったのは、これはブリッジエピソードではなくて、まどか☆マギカという作品を、リブートさせる作品だと言うことです。まさにルールが書き換わったのであって、この先は既に割り振られた役割以外はどうなってもおかしくないという状況ではあります。
ただ、TV版のストーリーが、「単身で戦うことを基本とした魔法少女」という比較的トラディショナルなフォーマットをベースに語られていたのと違って、今後は「集団で戦うことを基本とした、プリキュア的フォーマット」をベースにしたいのかなと思うところもあったりします。(これは本作での魔法少女の立ち位置とは離れて、結末からだけの類推です)

ともあれ。

まずは雑感から。
ワーナーブラザーズのロゴが出たときに、真っ先にマトリックスを佐倉は思い浮かべましたよ。結果。ほぼあってる気はしますが。
佐倉は押井守の影響を多大に受けているせいか、物語冒頭でこれが誰の結界のなのかは想像ついて閉まったのです。記憶喪失(本篇の場合は改竄)って、「探偵が犯人」の典型的パターンだと思うので。
結局その想像があっていたので、見ている最中の興味は、ほぼ、いつ、どう、叛逆するのかなと、それだけがずっと気になっていて、いざ叛逆されたときは「ヒャッハー、これがハンギャクだぁ!」と思ってしまったのです。いやまあ、実施にはもっとちょっとだけ冷静に、その予想が裏切られるのか、裏切られないときはどう落とし前をつけるのかどきどきしながら、おお、こうなるか。わかってるなあと感心したましたけど。(理由は後述)
監督の望むセカイ(とあえて書く)に着地するには、こうなんだろうな的な。

というか、これ、小骨ポイントともからむんですが、監督さやか好きすぎるよね、と。いやまあ、佐倉も、さやかが(作劇的な意味で)好きですけどね。というか、さやかと仁美の(キャラポジ的な)救済のされ方がハンパないというか、さやさや達観してるし円環の使者だし、ひとみん恋する乙女すぎてアレがそれだし。
さて、本論。
一つ目に書きたいのは、これは「少女が女性になる」物語だと言うことです。前作では全力で回避するべきだった「少女が女性になる」つまり「魔法少女が魔女になる」事を、愛を知ってしまったことにより、受け入れてしまった一人の少女の成長の物語だったのかもしれません。
と考えると、新シリーズは「夢と希望」が「愛と勇気」を倒しに行くというか、そう言うものになるのかもしれませんね。

佐倉は、ほむらはまどかが編んでくれた三つ編みをほどいて立ち去る瞬間に、「世界を捨ててまどかを救う」決意をし、もしかしたら、インキュベーターのたくらみも、他の魔法少女が「自分を救う為に行動する」事もはっきりとイメージしていたのかなと思っています。まあ、彼女を救う行動が見られなかったときは、インキュベーターを巻き込んで、関係者全員結界に飲み込んで終わるわけですし、この時点でほむらは少なくとも「引き分け」にはもって行っている訳で、まあ、伊達に時空を渡り歩いてはいないなというか、ある意味一番「歳を取っている」キャラクターなので、狡猾ですよね。

そもそも、「マジューとかヌルイ敵をちまちま倒すような効率の悪い方法ではなく、マジョを発生させてチュチュっとエネルギー吸っちゃえば効率よくね?」とインキュベーターに示唆したのもほむらなんですよね。こわいこわい。例によって一番の被害者がインキュベーターだという構図は、これは人間の物語だからしょうがないのでしょうけどね。

前作の最後で醸し出される「ほむらちゃんはそんな孤独な状況に耐えられるんだすげえ」を、大変現実的に「いや耐えられないからね、実際は」って巻き戻してきたのが実にまどか☆マギカ的というか。これは公式でないと許されないアイデアというか。いわゆる夢オチのたぐいですしね。
そもそも、さやかが、なぎさがキュゥべえを欺き、キュゥべえがほむらを欺き、ほむらがまどかを欺くというのは、コンセプトとしての魔法少女黙示録への回帰である気もします。シーン的な魔法少女VS魔法少女の総力戦というものもありましたしね。

というわけで、叛逆の物語とは、愛に基づいて、勇気を持って永遠に続く救済に逆らい、物語を最初の状態に巻き戻し、その報いとして心を売った少女の物語、と要約していいと思います。(彼女の最終目的が何か、どう世界を改変したのかは明かされていないので、本当に心を売ったのかは不明ですが)

次は、劇中気になった点について。

最初に書いたとおり、ストーリー全体の流れと結末は、想像していた内容ではないにせよ納得なんですよ。そこはいいとして。

まず、ほむらちゃんにとって、担任の先生が結界に取り込まなければいけないほど何故重要なのか今までの範囲では分からない。というか、あの箱庭の最低必要な要素は、「ほむらとまどか」であればよくて、かつ実はその全てが偽物でも成り立つ気がするんですよね。まどかですら偽物でいいというか、むしろその方がしっくりくるというか。そもそもさやかが(もしくは、さやかも)ほむらを救済にきたのであれば、序盤で謎を解こうと行動するほむらに対して、謎を解いて誰か幸せになれるのか?と問うのはおかしい気がします。ミスリードを誘ってるんだとしても、後から振り返った合理性がないし。しいて言うなら辛い目に遭った見返りにしばらく楽しんでったらどうかなぐらいの勢い。

あの世界のまどかは、ほむらの中の悪い心(もしくは独占欲というか愛というか)が作り出した幻影で、最後、本物のまどかがほむらを救いに降臨するも、既に悪い心に取り込まれていたほむらにより、その力の神格が吸い取られ、世界が再改変される。だとしっくりくるんですけどね。ありきたりな筋書きですかね?というかこの筋書きはビューティフルドリーマーですね、ほぼ。

さやかとなぎさの位置づけもなんか弱いんですよね。二人ともほむらを救いに来ている、のではなくて、なぎさはマミを、さやかは杏子を救いに来ているのであれば、ほむらを救いに来るまどかと合わせて対称性がある気はします。

あ、そもそも。TVのストーリーからの延長では、さやかが杏子に再びあえてよかったと思う合理的な理由が分からないというのもありますね。この辺はゲームとかの「外伝」を佐倉は見てないので違和感があるだけなのかもしれません。(このへんは、違和感というより、二次創作設定に引きずられ過ぎていると感じたというか)

というわけで。

最後に、新シリーズ?の予想。実は前シリーズのルールって、世界のルールとして、誰か明確に倒せば解決しそうな敵がいないんですよね。魔女の親玉というか大魔女みたいのは示唆されないですし。でも、おそらく新シリーズは、少なくとも開始時点の構図は「悪魔ほむらを倒すべく、魔法少女が戦う話」になりそうなのが示唆されていますし、「スタート時の魔法少女がおそらく赤青黄色の三人か桃色を足した四人」で「一人だけ歳の若い(小学生)魔法少女の途中追加」すら予感させるとか、どんだけプリキュアなんだよこれ、ってとこですよね。というかきっとオーソドックスに桃色誕生からなんだろうなあ。もう「実は桃色が魔法少女にならない」話ってのはやっちまってるわけだからなあ。それでいて、視聴者は敵の正体というかどういう因縁でこうなってるのかは知ってるという、刑事コロンボというか古畑任三郎的な要素もありつつ。あ、何となくインキュベーターさんはほむらさんに使役させられそうですよね。この辺もプリキュアフォーマットいけそうですね。そしてほむらによる世界再々編にあたって、ほむらが自分の世界に取り込んだのは「人間としてのまどか」だけらしいので、救済神としてのまどかは分離されて世界の外にいるようだし、新シリーズ進行の課程で「前世に封印された神であるまどか」が覚醒しそうですらありますが、それがそのまま行かないだろうと言うのがまどか☆マギカなので、どうなることやら。テレビ新シリーズはよ!はよ!

おまけ。大変個人的な、自慢になりかねない嘆き。おそらくですね、発想の原点は、佐倉の書いた「新たなる世界の片隅に」とだいぶにてると思うのですよね。ちゃんと描けてるかどうかは今や自信ないですが。基本的には「ほむらとまどかが最終的に別の価値観に行き着いて対立する話」なので。
叛逆の物語の方は、一次創作者でないと思いついても受け入れてもらえそうにないネタもあった気はしますが、それでもきちんと理詰めで構成されていて、説得力のある物語になっていて、かつ、押井守のビューティフルドリーマー的な、いかにも佐倉が思いつきそうなネタだったり、プロこええなあ。すごいなあ。というのが正直な感想。張り合うのもおこがましい、末席の作家ではありますが、佐倉もホントがんばろうと思いました。

ちなみに、佐倉自身の新作というか「新たなる世界の片隅に」のリライトを夏コミ以降書いてまして。本当は映画版公開前に書き終えたかったのですが、ぜんぜん仕上がっていない状況でして。

この作品は魔獣世界の話であって、TVシリーズの直接の続編として書いていたので、内容を否定される公式設定が新編映画ででるかなーだめかなーと。yet another madoka magica にするしかないかなーどうかなー思っていたのですが。
ふたを開けてみたら、実は叛逆の物語は、第三の世界から第四の世界が描かれる作品であり、魔獣世界には全くふれられてなかったので、助かったと思っているところであります。いや、全くでも無いけど、微調整の範囲というか。

とにかく。微調整をして、結末をつじつま合わせれば、ファーストシリーズと映画新編のブリッジエピソードとして落とし込めそうなので、現在かいている話は大変ありがたく執筆を続けたいと思います。もうほんと、うろたんだいすき!ちゅっちゅっちゅーーって思っているところでございます。(キモイ

追記)ここまでの文はパンフレットを読まずに書きました。そして今、パンフレットを買ったことを思い出して、一通り読みました。いくつかの疑問は解消した気もしますが、もう少しパンフレットのインタビューを読み込んでから書きたいと思います。

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“劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語を見てきたので、ネタバレ有りの感想等々を。” への2件の返信

  1. ビューティフル・ドリーマーと言いたくてでも書いちゃ駄目だろうなぁ、とか。いやこの世界は可能性としても最初からまどかかほむらのどちらかのものでしかありえなかったよなぁ、とか。そういう話は初回直後に書いたら恨まれるよなぁと想ったので、いいから見てこいとしか言えなかった件。

    1. まあ見る前に書かれたら怨んだかどうかは、開始早々にああって思ったから、可能性の問題だけど怨まなかったかもしれない。そんなことないかな?

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