魔法少女 まどか☆マギカ 最終考察 その5

これ以降ネタバレ

美樹さやかちゃんについて。
なんていうのかな。感受性が強すぎるんだろうね。実は一番女の子らしいキャラクターじゃないかなあ。
本編中に巴マミが指摘した「あの人の力になりたい」というのと「あの人の恩人になりたい」って言うのは確かにすごく違っていて、きっと「普通の」魔法少女ものだったら恩人に収まってハッピーになれた人、だよ。
さやかが不幸だったのは(基本的に出演番組を間違えたというのを除いて)、彼女自体が、他人に対して力を行使することの違和感にいち早く気がついてしまったにもかかわらず、当初の杏子のように割り切ることもできず、結局不器用に突き進むしかなかったっていうことにつきると思う。ある意味巴マミの正当後継者ではあるんだよな。でも、巴マミは「すこし」ずるいところがあってそこで自身が救われてたんだけど、ほんとにピュアすぎて、口先で「そうだね、考えが甘かった」と言いつつ、実は全然納得してなかったんじゃないかなあ。だから、もっと巴マミが存命していて、「ずるかったり無理をしていた」ところを「魔法少女になる前に」垣間見られたら、もっと違った展開になっていたのかもしれないね。
と、いいつつ。
最初のタイムラインではおそらく魔法少女になってない、んですよ、たぶんね。
だから、彼女は本質的には「不適格者」なんじゃないかなとおもうのですよ。まどかが早い時期に魔法少女になっていて、誰かがとにかく魔法少女の数を増やそうとしていない場合は…………つまりはっきり書くと暁美ほむらがいなければ、魔法少女になんかならなくて済んで、上条恭介も腕は治らなかったとしても、何か別の「生きていく理由」を見つけられて、それをアシストできる位置にいたんじゃないかなあと思うと、不憫でならないのですよ。この節はちょっと妄想が強いですけれども。
だからこそ、(それが物語の終結には必要だってわかっていても)、さやか、君はそんなに簡単に上条君のことをあきらめてしまってもいいの? 君はもっと、「あきらめがわるいからこそ成功する」のが信条じゃなかったのか? というか、なんか納得できない感じなんですよね。 いや、お話的にはきれいに救われていると思うんだけどさ。

で、佐倉杏子について。まずキャラクターと全然関係ないですが、僕の筆名「佐倉羽織」との関連については佐倉羽織についてを参照。
改めて。
なんだろうね。とても人のことを大切にする子なんだろうね。やさぐれている間も。
巴マミとは逆の方向へ「あきらめる」ことで自我を保っていたんじゃないかなあ。他人によって強引に幸せな状態に持って行っても、やがてその人は不幸になることを彼女は知ってしまったんだろうね。キュゥべえが言うように「希望が求められ、それが叶ったんであれば同じ量だけ不幸が生まれる」 だから、「自分が生きていくのに必要なだけの不幸を魔女に吸収させ、それを自分が取り込む」 生態系のバランスを崩さないことが大きな意味での不幸を呼び込まないんだ、と。
そしてさ、これまた不幸ではあるんだけど、さやかの中に、自分が切り捨てていったものを見つけて、「おまえがそれを切り捨てたのは間違えだ」って、言ってほしかったんだろうね。
作劇上の都合としては12話で魔法少女が5人中4人(ある意味)死ぬ、という構成上、さやかの回が6回続いたので一緒に昇天した、のだろうけれども。「ひとりぼっちで寂し」かったのはむしろ杏子なんだろうなあと思う。自分の分身のような後輩だからこそ、なんとか、それこそ命をかけて救いたかったんだろうなあと。

しっかし、こううまく歯車が変な感じにかみ合うようにできているのは書いていてすごいなあと改めて思ったりするわけですが。
僕の中で巴マミに対するとらえ方がメディアで繰り返しみて若干変わったと思うのと同じように、この二人についてもメディアが入手できて繰り返しみたときには感じ方が変わっていくんだろうなあと思ったりします。

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