さよなら20世紀

* 1年が終わります。

毎年年末に思うのは、所詮連続した時間の中で、短に人間の便宜上区切られているその、最後の日、最初の日であるだけの年末年始ですが、やはり、ある周期で過去をちょっとばかし振り返りつつ、未来に思いをはせたりするのは、人間と言う生物の、人間たる所以であるところの文化によって意味付けられている行為で、所詮あったとしても、それそれで意味があるようなないような、いや、意味をつけてるのですから、原理的には意味があるのですが、それはそれ、年末も年始もなく、今日は24000月末で、明日は24001月1日とか言うよりはかなり趣があっていいのではないかと。大体にして、「にまんよんせんいちがつついたち」とか、いいにくいったらありゃしないですよ。ビバ太陽暦!

贅沢を言えば、毎月30日ぐらいで固定してくれると、いろいろ計算が楽です。経費削減で、経済効果抜群ですよ。余談ですが。

* 世紀末とは年末であり月末であり日末(とはいわんか、1日の終わり)です

さて、そんなこんなで、今月も終わり、今年も終わり、今世紀も終わりです。子供のころにはまさか自分が21世紀に生きる事になろうとは思いませんでした。つーか、自分が30超えたオジさんになると言う概念がなかったような、のほほん野郎でしたが。思い返せば、子供のころ、21世紀に対して思ってたことは、1/3は実現してるんじゃないでしょうかね。車はすっかり丸くなって、あとは浮くだけですし、ロボットは工場で働いてるし、実際に人間型のものも出始めてるし、すっかり個人向け無線機というか携帯電話が普及して、直接個人を呼び出すことができるし。僕は個人的には、人類と言う生物は、種としての限界を超えていると常々思っていて、*538人類が現在発展しつづけているのは、従来の生物の枠をはみ出して、「非生物」てきな進歩をしているからに違いないと思ってるわけですが、難しいことを考えていても知恵熱が出るばかりでどうなるモンでもないつーことで、21世紀になっても、まあ、何が変わるでもなく、このまま生きていくのでありましょう。

* 新世紀にいきる旧世紀人より

いや、確率の上では、あと数時間の内に人類が滅びないとも限らないのですけど、まあ、順当に年が明けたとして。

21世紀を迎えるにあたって、今、個人的に一番気になってるのは、ジジイになったときに前世紀の遺物
扱いされかねないつーことですな。いやはや、困ったもんじゃのう。

*538:僕は生物学は詳しくないので、根拠があるわけじゃないですが。
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